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 雨の多い月だった。湿気が傷を膿ませるかもしれないと考えながら、私は裁縫針のとがった先端をライターの炎に翳した。その日私は彼女から、彼女の耳に穴をあける仕事を授けられていた。それは私の特命だった。彼女は私の少ない友人のうちの一人で、私は彼女のことがとても好きだった。透明な産毛の生えた耳朶も、後れ毛のほつれた襟足も、長い髪をかきあげる二の腕の白さも好きだった。何事にも彼女の中に決まりがあって、自身の許せない物には絶対に触れようとしなかった。彼女は自ら選んだ物だけに囲まれた世界で、それを懸命に保ちながら生きていた。私はその魂の高潔さと、頑固さが引き起こす彼女の生き辛さを何よりも愛していた。彼女に許されて近くに置かれているのだということが誇りだった。そして彼女に拒絶されるものたちに優越感を持っていた。

「痛いと思う?」

 氷の入ったビニル袋を弄びながら彼女が言った。彼女は私のベッドに腰掛け、壁に背を預けていた。

「どうだろう。冷やしたなら大丈夫じゃない」

 私は脱脂綿に消毒液を吹き付けて、彼女の傍に歩いて行った。彼女は私の指の間で光る針を見、前髪の奥で睫毛を揺らした。

「血が出たら嫌だわ」

 彼女は血を汚いと思っている。常に体を巡って自分を生かしているものを汚いと思っている。私は自身のもので汚れる想像をして眉をしかめる彼女が一層愛しくなった。お前の体にはその汚いものがたっぷり三リットルも流れているのだということを突きつけてやりたいと思った。愚かに見える程に徹底した潔癖さは、研ぎ澄まされて美しい。灼けた針が冷えるのを窺いながら、私は彼女に言った。

「やっぱり病院で開けてもらったら? 私、失敗するかもしれない」

 彼女の頬が不快そうにこわばった。私は悟られないように唾液を飲み込んだ。私はただ彼女に受け入れられているという実感を得るために問うたに過ぎなかった。彼女の耳の傷も自分の失敗も私の胸には無く、私はその罪に気づかない振りをしていた。受話器の向こうで、彼女が貫通を秘事のように言ったときも、私は同じように私の罪を隠していた。病院も他人の手も受け付けない彼女がそう言うのは、つまり私になら触れられても針を刺されても血を見られてもいいということだった。そして気高い魂を護るために、私はそのことに気づいてはならない。それは私の中で一番重い罪だった。

「わかってるでしょ、早くして」

 彼女は静かに言って俯いた。私は彼女を愛している。

 私がベッドに膝を乗せると、彼女は頭を傾けて美しい耳を私に晒した。冷たい耳殻を摘んで、少し引っ張るようにして固定する。左手で針を持ち上げ、狙いを定めるために彼女の頬骨のあたりに小指の付け根を押しつける。人に触れられるのを嫌がる彼女が大人しく目を閉じたのを見て、私は密かに喜んだ。鼓動が早くなる。浅くなりそうな呼吸を抑えながら、じゃあいくね、と囁くと、彼女はぼんやりした声で返事をした。

 首筋が痛くなるほど心臓が血液を押し出していた。私は手のひらにじっとりと汗をかいて、息を止めたまま、針の先を彼女の耳朶に押しつけた。一瞬の弾力に押し返される感触のあと、あっけなくぷつりと皮膚が裂け、フエルトを縫い合わせるように針が貫通した。彼女が息をのむ気配がした。針の径に沿って赤い輪が滲んでいる。そのまま押し込むと、針先が彼女の耳を押さえていた右手の人差し指を突いた。痺れるような痛みが甘く感じられた。

 私が針を引き抜くと、彼女は脱脂綿を耳朶に押し当てて、詰めていた息を吐き出した。私は傷ついた人差し指を握り込んで隠した。

「ちゃんと通ったの?」

 五ミリほど血の跡の掠れた針を見せると、彼女は脱脂綿を開いてみて、ああいやだ、と呟いた。その白い塊には私と彼女の血が染みている。彼女の内側に通じる傷口に、私の血が混ざっていることを教えたら何と言うだろう。私の人差し指を彼女の血を纏った針が突いて、私がそれを喜んでいると気付かれたら何と言われるだろう。そうやってお前を愛しているのだと、私は彼女に伝えたかった。しかし私は彼女の傍らにひざまづいたまま黙って彼女の唇を見ていた。微かにのぞく唇の粘膜が血の色をして美しかった。

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